金曜日、病院行って大量の薬もらいましたが、なかなか咳が止まらないんですよね~。
熱はないのですが、雑悪な菌をまき散らして周りの人にエライ迷惑かけとります(-.-;スンマセン
そんな中、新幹線でとんでもなく恐ろしい事件が起きちゃいましたね~。
新幹線は早い、安全=最強の乗り物と思って来ましたが・・・
お仕事や帰省で利用されていて背筋が凍った方も多いのではないでしょうか?
秋葉原通り魔殺傷事件と同じような感じと思ったんですが、先日ちょうど10年経ったので、それと何か関係あるんでしょうかね~?
この手の事件で、たいがい加害者にありがちなパターンとして
・孤独感、愛情に飢えている
・生きがい、やりがいがない
・世の中においてうまくいってない
・小さいころに辛い過去がある etc.
しかしですね・・・
だからといって人殺していいワケないじゃろーーー!!
ということですね。。。あたりまえ
そういうことは、どうか自分一人の世界でやって頂きますよう、なにとぞお願い申し上げたい。
(どれだけ迷惑か分かっていないKY→そういうだから他人も当然寄り付かないと思ふ)
また、孤独感、世の中においてうまくいってない、という部分については、人間誰しも少なからずそういった思いはあると思うんですね。得てしてそういうイキモノと思ふ
教訓:人はどうせ自分のこと理解してくれない、とか言ってる人に限って、他の人を理解しようとしていない。
人を理解しようと思わない限り、誰も自分を理解してくれないんじゃないかな?と思っております。
玉婆自身は、義務教育とかで、世の中から勝手に割り当てられたクラス分けとか、すごいイヤでした。
家庭環境でツライ思いもしたし、自分がそもそも変わったヤツってのが自分自身理解できていない→自己表現うまくできない→理解されない
と負のスパイラルを繰り返しておりました。
(よくグレなかったね~、とよく言われる)
自分の場合は、血液型がB型だっていうのが分かったのがなぜか20歳の時で、それが分かってから人生開き始めた(?)のを感じましたね~←今まで何かに押さえつけられてきたんだと思ふ
というか、自分自身、こーゆーヤツだってのが理解できてなかった上に、自分から”折れる”ってことを知らなかったので、敵も多かったと思いますね~(-.-;
今も気づいていないだけで敵は少なくないのかもしれないんですけども「負けるが勝ち」「損してトクを取れ」的なことを覚えてから、随分と過ごしやすい世の中になった感じがいたします(^^;←もっと早い時期に知りたかったヤシ
しかしながら、根本的には、自分を曲げることができないタイプなので、正直に生きるのが何よりじゃないかなと思っております。
教訓:そもそも世の中全ての人から受け入れられるのはムリ
しかしながら、人をねたんだりすることなく、自分なりにでも一生懸命に生きていれば、いつかは自分を認めてくれる人、理解してくれる人が少しでも出てくるもんじゃないかな~と。
それが「世の中において必要とされる」=生きがい・やりがいにつながってゆくのですね~。
自分はまだまだですけども、人にとって有益な人間でありたいな、と・・・
その為に日々精進が必要と思いますし、手助けをしてくださったり良い刺激を与えてくださる人々もいて、本当にありがたく思っております。
そうすると自分も返したいな~と思う→相手も分かってくれる→ますます良いお付き合いになる
というプラスのスパイラルになってゆくんじゃないかな、と思います。
世の中、ギブをせずにテイクだけを期待する人も沢山いると思いますが、玉婆においては
教訓:ギブをすれば必ずテイクがあるとは限らないが、ギブをしない限りテイクはまずない。
また、キリストにおいては「求めよ、さらば与えられん」とかなんとかいう言葉もあるようですが・・・違ってたらスミマセン
「与えよ、さもなくば与えられん」
(与えない限り与えられることはない)
じゃないかな~ということでございます。
紀州ドンファン事件に関しては、玉婆的には「はらたいらに全部」
ちなみに、夫・スタッフにおいては「オッズ1.1倍、それ以外は万馬券か宝くじ」
とのことです(^^;しかしなかなか捕まらないですね・・・
お金のある男性には得てして女性は寄って来るかもしれないですけども、紀州のドンファンにおいては「いくらお金があっても本当の愛を手に入れることはできなかった」という意味において、非常に寂しい人生でした(´・ω・`)しょぼーん
教訓:お金がないに越したことはないが、お金があるからといって必ず幸せとは限らない。
そうして、ワンちゃんに遺産を託そうとしたワケですが、ワンちゃんが無垢だからこそそう思うワケで、もし犬にも金欲があったならば、おそらくそのような遺言は書かなかったでしょうね~。
教訓:お金持ちに寄って来るのは欲のある人が多いが、お金持ちは得てして欲のない人にお金をあげたいと思うものである。
お金だけでなく愛を与えることができる男性だったならば、お金だけが目当てじゃない女性との出会いがあったかもしれないですし、覚せい剤を盛られずに済んだかもしれませんねぇ~。
むすび
愛について語るとキリがないのですが、様々な事件の根幹は「愛情の不足」から来ているってことが言いたかった次第でございます。
そして、愛情を得るためには、まず自分が愛情を与えることを考えてみてはどうか?ということですね。
思えば、婚約指輪を買ってもらった時の玉婆は、恥ずかしながら今振り返ると
「指輪を買ってもらうこと=愛の証」と思ってたかもしれないですね~。
(そして、夫は結婚詐欺じゃないか?と籍入るまで半信半疑だったらしい)
玉婆としては、付き合って数ヶ月で結婚だったので、二人の歴史がない分カタチというか、ケジメを重んじたつもりだったんですね。
そんなこんな思い出しつつ、婚約指輪引っ張り出して来たの図。
ちなみに、ブランド物だと同じ位の大きさで倍の値段するみたいです。
教訓:お金をダイヤにつぎ込むか、ブランドの名前につぎ込むか、の選択
ちなみに、玉婆は親の関係で2割引になったため、三菱マテリアルで購入しました。
(ブランドより素材重視)
紅白の入れ物がダサいんですけども・・・・(/ω\)
今考えると、買ってくれるだけでも本当にありがたいのに、当時は
「カット・カラー・カラット・クラリティが4つのCです」
とか説明されて、カラットができるだけ大きいのがいいけどこの予算じゃ~ね~とか言ってた自分を深く反省しておりますm(__)m
しかし、全く何も買わなくてもいいか?
というと、そうでもなくて(こう言ったらアレなんですけども、買わなかった人の〇〇率がやや高の気がする・・・)
教訓:お金が全くなくても愛があれば何とかなるさ~っていうほど世の中甘くない
ってのもあるので難しいんですけども、愛とお金のバランスをうまく保つことが健やかに生きる秘訣ではないかな?と思っております。